[COLUMN] タイのお頭

私たちが出会った素敵な人たちに、その人の「視点」を綴っていただくコラムです。集まってくるさまざまな物語の中で過ごす、ゆたかな時間をお楽しみください。
「タイのお頭」
スーパーや百貨店の鮮魚売り場には隅にお買い得品が置いてあって、いつもなにかいいものはあるかなとさりげなくのぞいてみる。するとそこにタイのお頭があって、目が合うときがある。目が合うと欲しくなるのでなるべく合わさないようにしているのだが、つい合ってしまう。私はタイの塩焼きに目がないのだ。普通は潮汁などに使う端物だが、お正月でもないのに大きな尾頭付きのタイばかり食べているわけにもいかないし、お頭だけを塩焼きにしても充分おいしい。タイの身で最も美味なるは眼肉だと言ったのは作家の誰であったか、まったくそのとおりである。

その日目が合ったタイのお頭は大きく、目はぎらぎらとして睨みを効かせていた。通常お頭はふたつに割って両目が見える形でパックに入っているが、その片方の目に古傷がある。海にいたときに他の魚と闘ったかなにかで怪我をしたのだろう。鱗も鈍い金茶色をしている。ずいぶんと、立派なタイだなあ。雄々しく野性味のあるタイである。

おまけにこのタイは愛媛産の天然とある。愛媛の海はタイの漁場として知られるが、個人的にも愛媛は何度も旅した場所で、特に宇和島はのどかでおっとりしていて、山もあって海もある、いい町だった。きっとこのタイは、あのきらきらと光る宇和海から瀬戸内にかけてを棲みかにしていたタイだろう。私は海に潜ったときに出会った魚たちの生き生きとした姿を思い出した。このタイもそうして大海を悠々と自由に泳ぎ回っていたのだ。本来は捕らえられるようなのろまではないのだが、なにかのはずみで糸にかかってしまったのだろう。まったく無念である。かくなる上は私が買って食べるしかないではないか。もしここで私が買わなければ売れ残って処分されてしまうかもしれない。瀬戸内海のタイの王様の末路がそんなことになるのはなんとしても避けたい。

私はタイ(の王様のお頭)を買って家に帰って塩焼きにして食べた。これまでに食べたことのないほどみっちりとした身の締まり具合で、骨から容易にはずれないほどである。ものすごい筋肉質なタイである。しかもその骨といったら太く堅牢で、白々と尖った歯もみごとである。魚というよりは獣のようなタイを必死になってほぐしているうちに、なにやら申し訳ないような気持ちになってきた。こんなに立派なタイが捕らえられて人間に食べられてしまうなんて、申し訳ないを通り越して、畏れ多いような気持ちである。私ごときがタイの王様を食べるだなんて、本当にすみません。しかしだからといって捕らえられてしまった以上、きれいに食べ尽くすのがこのタイに対する礼儀である。

私はタイと格闘し、頬肉、顎肉、眼肉まで、隅々まで食べて食べて食べ尽くした。食べ尽くしてがっくりと疲れた。タイを食べてこんなに疲れたことはなかった。骨だけが残ったお皿を呆然と見つめながら思った。これでよかったでしょうか。うむ、よかろうと言ったタイの声を聞いたような気がした。

[WRITER PROFILE]
若菜晃子 (編集者)

1968年兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)『徒歩旅行』(暮しの手帖社)『地元菓子』『石井桃子のことば』(以上新潮社)『東京甘味食堂』(本の雑誌社)『街と山のあいだ』(アノニマ・スタジオ)他。最新刊は随筆集『旅の断片』。小冊子『mürren』編集・発行人。
www.murren612.com

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