[COLUMN] 日常の中の非日常

私たちが大切にしているもの。確かにあるのに指差すことができない。それは、目に見えるものばかりではありません。それらを、ひとつずつ読み解き、丁寧に表わしていく言葉の集積です。
「日常の中の非日常」
先日しとしとと冷たい雨が降り続いていた夜、行きつけの近所のお肉屋さんで、いつも接客してくれるおじいさんが熱心に地図を広げていた。大きな虫眼鏡を持ってどこか地方の山奥のページに顔を寄せている。

今度のご旅行の予定ですか?と聞くとこんな答えが返ってきた。「いや、違うんだよ。さっきラジオで滋賀県の山間を走る単線の話をしていたからさ、どんなところなのかなと思って見ていたんだよ。」いつか行けるといいですね、と言うと「いやいや、そんな暇ないよ。でもさ、こうして地図を見ているのが楽しいんだよね。どんな所なのかな、川があるなとか、駅の名前が面白いなとか、春は山桜が綺麗かな、なんて想像してね。地図って便利だよ、こんなに手軽にさ、世界中どこへでも行けちゃうんだもの」。年季の入った日本地図の分厚い本は、これまでおじいさんを様々な場所に連れて行ってくれたのだろう。冬から春へと移ろう山の中に想いを馳せて、白や薄ピンクの山桜を、まるで車窓から眺めている気分で地図の路線を追っていくのだ。琵琶湖をかすめて陽が沈み、湖の水面にオレンジの光が輝く様子も、おじいさんの瞼にはまざまざと現れているに違いない。今やインターネットであちこち検索をして、その場所の写真さえも簡単に見ることができる時代になってしまった。それでも分厚い地図をめくる人がいる。きっと、おじいさんにとっては、さりげなくも贅沢な時間なのだ。

とても身近に贅沢な時間は溢れている。旅やライブやイベントも良いが、子どもと肩を並べて朝ごはんを食べることも、いつもの犬の散歩も、自分次第で非日常になる。簡単に手にいれることができるし、その世界は無限に広がっていく。


イラスト:濱愛子
テキスト:スティルウォーター

[ILLUSTRATOR PROFILE]
濱愛子 (イラストレーター/グラフィックデザイナー)

紙版画を用いて、情感と力強さのある作品づくりを目指し、本、雑誌、広告に取り組んでいる。最近の仕事では、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」(詩/高橋久美子、ちいさいミシマ社刊)、また、日本美術や、茶道具の世界で使われてきた形について紐解く「かたちのなまえ」(野瀬奈津子著、 玄光社刊)。それぞれ一冊を通して絵を担当している。HBギャラリーファイルコンペ大賞/永井裕明賞、東京イラストレーターズ ソサエティTIS公募入選(灘本唯人氏 「わたしの一枚」)、ADC入選、他。TIS会員。
https://aikohama.com/

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