[COLUMN] 集う

私たちが大切にしているもの。確かにあるのに指差すことができない。それは、目に見えるものばかりではありません。それらを、ひとつずつ読み解き、丁寧に表わしていく言葉の集積です。
「集う」
大抵の情報は、さまざまなツールによってインターネットを通じて得られるようになった。また、かしこまって便箋を広げて、今日のお礼を書き連ね、封をして切手を選び、駅前のポストまで行かなくても、タタタとボタンを何度か打つだけで、メッセージが相手の手の中に届いてしまう便利な世の中だ。マンツーマンや、同時に数名でのオンライン会議、これも日常的になってきた。オンラインの会議にも目に見えない気遣いや優しさは持ち込める。通話を切るときに「お先にどうぞ」、みたいな空気になることも良くある。遠く離れていても、電波が悪くても相手がどんなことを考えて頷いているのか、注意深く観察すれば伝わってくるものも多い。しかし、どれだけ便利になったとしても、それは実際に触れ合える距離で人が会い、会話や時間を共にし、集うことには届かない。そこには、一体どんな意味があるのかを、考えてみる。

きっと、言葉にしてはいなくても、人はずっと何かしらを発している。笑い声の弾み、考え込むような横顔、よく動く手や腕、相槌を返す間合い、洋服やからだの温度、「聞く」時の表情。話を聞くとき、人はいろんな表情をする。えっと驚いたり、目を見張ったり、頭を傾げたり、小さく頷いたり。話を聞いている人たちのおかしげな顔や、納得の面持ちを、つい観察してしまう。そして、部屋を抜けていく春風の香りにふと目をあげれば、誰かとそのことをほんの一瞬で分かちあえたりする。

余談だが、私は花嫁さんがヴァージンロードを歩き始めるとき、その麗しい姿を目の端で捉えながらも真っ先に花婿さんの表情に注目する。今日まで待ちわびてきたこの瞬間。一生の中で最もと言って良いほど自分の伴侶となる人が美しく輝くときなのだ。一瞬驚いた顔をし、目を細め、目尻はさがり、そしてそこはかとない力強い決意の炎が目に宿る。この顔が見たくて結婚式に参列していると言っても良い。花婿さんが発するはっきりとした意志のようなものに触れる。

発し合う見えない信号のようなものは、空間の中で無数に起きては消えていくのだ。「集う」とき、それは静かなエネルギーとなって人の心に少しだけ触れてくるのだろう。人びとは皆、それを知らずのうちに受け取っているのだと思う。


イラスト:濱愛子
テキスト:スティルウォーター

[ILLUSTRATOR PROFILE]
濱愛子 (イラストレーター/グラフィックデザイナー)

紙版画を用いて、情感と力強さのある作品づくりを目指し、本、雑誌、広告に取り組んでいる。最近の仕事では、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」(詩/高橋久美子、ちいさいミシマ社刊)、また、日本美術や、茶道具の世界で使われてきた形について紐解く「かたちのなまえ」(野瀬奈津子著、 玄光社刊)。それぞれ一冊を通して絵を担当している。HBギャラリーファイルコンペ大賞/永井裕明賞、東京イラストレーターズ ソサエティTIS公募入選(灘本唯人氏 「わたしの一枚」)、ADC入選、他。TIS会員。
https://aikohama.com/

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