[COLUMN] 気配

私たちが大切にしているもの。確かにあるのに指差すことができない。それは、目に見えるものばかりではありません。それらを、ひとつずつ読み解き、丁寧に表わしていく言葉の集積です。
「気配」
気配。気配はいつもその人がいないときに、不意に、現れます。これまで一緒に暮らした人の残していったマグカップや、誰もいない朝のオフィスの机や椅子、息子の空のお弁当箱の中にも、時折、浮かんでは消える小さな痕跡。気配とは、その人が過ごすいつもの姿が、物にそっと面影を残すことなのだと思います。

出張に出る前はいつもとても忙しくて、目的地についてから体調を崩すこともしばしば。冷や汗をかき、外食では胃が休まらず宿に戻ってふと鞄を開けると、いつだったか母が持たせてくれた漢方薬が入っていました。しわしわになった漢方薬の包み。母はいくつもポーチを持っている人で、外出先で困って尋ねると大抵そのどれかの中から問題解決アイテムが飛び出します。絆創膏、ソーイングセット、印鑑、黒糖、小さなはさみ。ポツンとした宿の部屋で、漢方薬を口に含むと、どこからともなく母の気配が現れました。

世界中のお茶を集めるのが好きだった母と、一体何時間、ともにお茶の時間を過ごしたのでしょう。あなたが残していった茶葉も、残り少なくなってきました。譲り受けた茶筒を持ち上げるたびに、少しずつ軽くなっていって、あとひと匙かふた匙くらい。いつまでも取っておいたプーアル茶。風味が飛ぶから早く飲みなさいと、きっとあなたは言いますね。お茶を淹れている時、あなたの気配を感じるのです。やかんが音を立て始め、蒸気機関車のような、潤いのあるシューという音を消す瞬間。静けさが戻った部屋。お湯を注ぐ優しい音。そのひとつ一つに面影が浮かぶのです。プーアル茶はもう少し、発酵させてみようと思います。


イラスト:濱愛子
テキスト:スティルウォーター

[ILLUSTRATOR PROFILE]
濱愛子 (イラストレーター/グラフィックデザイナー)

紙版画を用いて、情感と力強さのある作品づくりを目指し、本、雑誌、広告に取り組んでいる。最近の仕事では、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」(詩/高橋久美子、ちいさいミシマ社刊)、また、日本美術や、茶道具の世界で使われてきた形について紐解く「かたちのなまえ」(野瀬奈津子著、 玄光社刊)。それぞれ一冊を通して絵を担当している。HBギャラリーファイルコンペ大賞/永井裕明賞、東京イラストレーターズ ソサエティTIS公募入選(灘本唯人氏 「わたしの一枚」)、ADC入選、他。TIS会員。
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