[COLUMN] 食の音、旬の匂い

私たちが出会った素敵な人たちに、その人の「視点」を綴っていただくコラムです。集まってくるさまざまな物語の中で過ごす、ゆたかな時間をお楽しみください。
「食の音、旬の匂い」
季節の折に旬の食材は味わい深く、風流である。世界各国のお客様がいらしても、旬は〈This is the season.〉と誇りを持って伝えられる。日本の季節を切り取り、収穫の喜びを皆で分かち合う。ほくほくの栗や無花果の儚さ、黄金色に輝く稲穂が風に揺れる音、鈴なりに木に実っている紅い林檎が一面に広がる風景、漁火(いさりび)が暗い水平線に燈る夜の帳 (とばり) 、秋鮭が幾何万匹と銀色に輝く頃。耳を澄ませば、昔からあるその日本の旬に、誰もが愛おしく思うだろう。小さな発見は日常の静かな音の中で、匂いや響きが研ぎ澄まされる空間に、想い出とともに溢れてくる。

街を歩けば、料理屋の軒先にぶら下がっている干物が目に入り、気になって駆け寄る。炭火で炙った何やらの元を辿れば、ああ、もうそんな季節かと思いに耽る。信号待ちの晴れた空を見上げたら、蜂の巣状の巻積雲(うろこぐも)を見つけて、秋刀魚を焼いた芳ばしい匂いが頭に浮かぶ。そこに居ても立っても居られない衝動は、音や匂いに常にアンテナを張り巡らせているからだろうか。道端にある知らない飲食店の品書きの料理名の嫋(あで)やかさに、心が躍る。誰かにとって、そんな店でありたいとさえ思う。

時に、食材が季節を表す言葉となり、魅惑的な旬の味を舌が追いかける。乾燥した冬の間、漆を塗り室に入れる際、湯気を立てる風呂吹き大根。がんもどきを頬張り、雁(がん)が月に照らされ夜空を飛んでいく姿を想像しながら、ぬるめの燗をあてた月夜の晩酌なんて言うことなしだ。

今宵の品書きは何にしようか。柚子を漬けた鰆の西京焼きか、昆布をしみこませた湯豆腐か。出汁で炊いた里芋の、蕈(きのこ)の風味がじんわり効いて。ぱちぱちと鳴る天ぷらの油の弾ける音に、徳利を傾け盃を交わす。

客席から聞こえる愉しい会話。雨の旋律、風の唄も、流れる季節の音階も。やがて旬は一年を巡り、日常を新たな音や匂いで繋いでいく。そろそろお鍋もいいなぁと、八百屋に並ぶ葱や白菜を横目に今夜の店の仕込みに戻り、帰り途の自転車を走らせる。

写真: ©Maciej Komorowski

[WRITER PROFILE]
矢沢路恵(「山食堂」/ 江東区・清澄白河)

清澄白河にある山食堂は、『旬の食材を日替わりで、店は生産者と消費者を繋ぐ役割り』をテーマに“季節料理と酒の店”として営む。メニューに定番はなく、しっかりと手で紡がれた素材と、日本全国に伝わり残る食文化を汲み取り、調理して食卓に運ぶ。食材の旬や背景を理解し、下ごしらえから盛りつけまで、すべての行程に意味があり、丁寧に調理する。山食堂が作る料理は、生産者と消費者を繋ぎ、淡々と季節が移ろう日常の豊かさを教えてくれる。

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