[COLUMN] あたたかさ

私たちが大切にしているもの。確かにあるのに指差すことができない。それは、目に見えるものばかりではありません。それらを、ひとつずつ読み解き、丁寧に表わしていく言葉の集積です。
「あたたかさ」
ドイツのヘーゲル空港に到着したのは夜21時過ぎ。空港からタクシーに乗って、ベルリン市内の宿に荷を下ろしたのは、日付が変わる1時間前でした。ヨーロッパは店じまいが早く、車から見えるどの店も、つぎつぎに灯りを落としていきます。秋が深まるベルリンの街路樹は、カエデやプラタナスが色づいている頃ですが、夕闇に沈んだ木々は、ザワザワと風に揺れるばかり。ふと、とてつもない空腹に気がつきました。はて困ったぞ。宿の住人は寝静まり、レストランもコンビニエンスストアも見当たりません。しかし、私は、この空腹感のまま朝を迎える自信がない。意を決して、徒歩圏内にある、ベルリン中央駅を目指すことにしました。
近代的な造りのベルリン中央駅は、ヨーロッパ中の鉄道が乗り入れる、巨大な駅。見通しの良い大空間に、無数のエスカレーターが折り重なって動いています。24時間稼働している駅とあらば、ビストロやデリくらいあっても良さそうなものが、なんと、たったの一つも開いている店はありません。上へ下へと階を移動しながら、時差と寒さと疲労に襲われ、途方に暮れていたその時、活気を放つ店が突然現れました。そこはイスラム系のケバブレストラン。この深夜に、男性客に混ざって、おばあさんや女性の姿も見えます。藁にもすがる気持ちで店内に入ると、おじさんがけたたましく話しかけてきました。アラビア語かペルシア語の料理名を指差し、「これでいいか?」と聞いてきます。私は夢中で「スープ、スープ?」と繰り返すと、おじさんは無表情でうなずきました。
テーブルの上にドン、と運ばれてきたのは、黄色い豆をすりつぶした温かいスープ。たっぷりのスープの上にはレモンとオリーブオイル、そして黒胡椒がかかっています。ついでにこれも食べなさいと言わんばかりにピタパンの上に厚切りにした牛肉、山盛りのサラダも置かれました。一体、何料理なのだろう。店じゅうに充満するスパイスの香り。言葉はわからないけれど、おじさんの自信に溢れた表情。深夜なのにつぎつぎと入店するお客さん。 黄色い豆のスープは、舌触りがざらりとしていて、こくがあり、酸味が効いていて、優しい味。夢中で食べました。たとえ国が違っても、胃袋に染み込んでいく無条件の優しさ。言葉はいらない。ただただ、あたたかい、料理。


イラスト:濱愛子
テキスト:スティルウォーター

[ILLUSTRATOR PROFILE]
濱愛子 (イラストレーター/グラフィックデザイナー)

紙版画を用いて、情感と力強さのある作品づくりを目指し、本、雑誌、広告に取り組んでいる。最近の仕事では、詩画集「今夜 凶暴だから わたし」(詩/高橋久美子、ちいさいミシマ社刊)、また、日本美術や、茶道具の世界で使われてきた形について紐解く「かたちのなまえ」(野瀬奈津子著、 玄光社刊)。それぞれ一冊を通して絵を担当している。HBギャラリーファイルコンペ大賞/永井裕明賞、東京イラストレーターズ ソサエティTIS公募入選(灘本唯人氏 「わたしの一枚」)、ADC入選、他。TIS会員。
https://aikohama.com/

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